盛岡地方裁判所花巻支部 昭和35年(ワ)68号 判決 1962年11月26日
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し金四、八二四、〇〇〇円、及び内金四七〇万円に対する昭和三五年四月八日以降、内金一二四、〇〇〇円に対する本件訴状送達の日の翌日以降、各完済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、
その請求の原因として、
(一)訴外朝日商工株式会社(以下朝日商工と称する)は被告に対し、
(イ)昭和三四年五月二八日小松製作所製D五〇型アングルドーザー一台(以下本件ブルドーザーと称する)を代金四七〇万円で、(ロ)昭和三四年六月五日乗用車クライスラーウインザーデラツクス一台(以下本件クライスラーと称する)を代金九五万円で、夫々売渡した。
(二)原告は朝日商工に対する約束手形金債権金六〇〇万円についての強制執行のため、東京地方裁判所昭和三四年(ワ)第九〇五一号約束手形金請求事件の判決の執行力ある正本に基き、朝日商工から被告に対する前記(一)(イ)の売買代金債権金四七〇万円(一)(ロ)の売買代金債権のうち金一二四、〇〇〇円、合計金四、八二四、〇〇〇円について、朝日商工を債権者、被告を第三債務者として、東京地方裁判所昭和三五年(ル)第四八〇号事件において債権差押並びに転付命令を得、右命令は昭和三五年三月三日被告に、同月六日朝日商工に、夫々送達された。
(三)原告は被告に対し、昭和三五年四月七日到達の書面を以て前記金四七〇万円の債権につき履行の催告をした。
(四)よつて被告に対し、右売買代金四、八二四、〇〇〇円、及び内金四七〇円に対する昭和三五年四月八日以降、内金一二四、〇〇〇円に対する本件訴状送達の日の翌日以降、各完済に至るまで年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。
と陳述し、
被告の抗弁事実を否認し、これに対する主張として、
第一、追認による合意解除について
(一)庄司富喜男は朝日商工の取締役に就任したことはない。朝日商工の商業登記簿謄本によれば、庄司は昭和三四年二月一〇日朝日商工の取締役に就任した旨の記載があるが、右登記は全く本人不知の間になされたものである。当時庄司は個人として水道配管工事の営業をしていたが、朝日商工代表取締役石川樹(以下石川社長と称する)の弟石川建と旧知の間柄であつたところから、単に自己の事務机を朝日商工の事務所内に置かしてもらつて自己の営業の連絡事務所として使用していたに過ぎず、朝日商工の業務には関係したことがなく、取締役会への出席、報酬の受領等もなしたことがなく、勿論取締役に就任することを承諾した事実もない。
元来朝日商工は石川社長が新会社を設立したものではなく石川社長が東海産業株式会社なる会社を買受けてその商号、営業目的を変更し取締役全員を入れ替えたのが朝日商工であり、新会社設立の場合と異り本人不知の間に第三者を取締役として登記することは手続上いとも簡単である。更に庄司は登記簿上朝日開発株式会社の取締役としても登記されているが、(乙第二六号証)、庄司の本名は富喜男であるのに拘らず登記簿上は庄司富喜男となつているところからみても、石川社長が壇になした登記であることが推測できる。
そして登記簿上取締役就任の記載があつてもそれが真実に合致しない以上取締役でないことは勿論であり、従つて庄司のなした合意解除の申込は何等の効力がない。
(二)仮に然らずとしても、庄司の意思表示は、何等の効果意思を伴つていないから無効である。
訴外株式会社小松製作所は朝日商工に対してブルトーザー五台を月賦販売し、そのうち最初の代金支払期日が昭和三四年九月二〇日であつたところ、石川社長が同月一四日頃東北、北海道方面に集金に行くと言つて東京の朝日商工本社を出たまま帰社せず、小松製作所に対する支払もしなかつた。
そこで小松製作所では緊急協議をなした結果その対策本部を設け朝日商工に対する債権の回収に狂奔するに至つた。
被告主張の庄司名義の昭和三四年九月二五日付通告書(乙第三号証の一)は右の如く債権の回収に奔走していた小松の社員が作成したもので、庄司の何等関知しない文書である。即ち、庄司の本名は富喜男であるに拘らず右文書では富喜男となつており、若し庄司が右文書内容を承認した上押印したとすれば自己の氏名の誤りを看過して押印することは絶対にあり得ず、更に、庄司は当時印鑑を朝日商工の自己の机の抽出に常時入れていたのであるから、連日朝日商工におしかけていた小松の社員の何人かが無断でこれを使用したのではないかと想像される。
従つて右文書は庄司の効果意思を欠き何等の効力も有しない。
(三)仮に然らずとしても、被告主張の追認は同年一〇月五日になされたものではない。前記のとおり庄司は朝日商工の取締役ではないから庄司の行為は朝日商工との関係において無権代理行為とはならず、従つて被告主張の追認は民法第一一九条の追認とするべきであるから、同条但書によつて将来に向つてのみ効力を発生するものであるところ、石川社長のなした追認は、後述のとおり本件被転付債権の仮差押決定が被告に送達された昭和三四年一〇月三一日以降になされたものであるから、追認を以て原告に対抗することができない。
仮に庄司が取締役であつたとしても、石川社長の追認は民法第一一六条但書によつて第三者たる原告の権利を害し得ないものであるところ、右追認は後述のとおり仮差押決定の送達後であるから原告には対抗できない。
そして、右追認の時期については、左に述べるとおり原告の主張は誤りである。
(イ)朝日商工ないし石川社長の側に存する根拠
(A)石川社長が同年九月一四日頃東北、北海道へ出張したのは会社が倒産したため逃走したのではなくして、会社の売掛代金の回収と他から金融を受ける目的のともに出張したものであるから、かかる際に石川社長が一〇月五日当時会社にとつて最も頼りとすべき本件売掛金債権を捨ててしまうと同然な本件追認行為をする筈がない。
(B)証人斉藤武雄の証言によれば、被告財政課長斉藤武雄は、石川社長と連絡をとるに当り、同年一〇月三日頃までに庄司から被告宛に到達していた二通の内容証明郵便(乙第二号証の二、第三号証の一)の内容を書いて追認依頼の手紙を作成し、これを佐藤剛に托したと言うのであるから、当時斉藤課長が知っていた庄司の氏名は、右二通の内容証明郵便に誤記されていた「庄司富貴男」の氏名しかあり得ないので、斉藤から石川社長に宛てた手紙にも「富貴男」と書いてやつたものと考えられる。
一方、石川社長もまた前述のとおり朝日開発株式会社の取締役として「庄司富貴男」と登記しているところからみて(乙第二六号証)、庄司の名を「富貴男」と記憶していたものと思われる。更に石川社長が荏原警察署で取調を受けた際の供述調書(甲第一五号証)にも、やはり庄司の名前を「富貴男」と述べている。従つて、同年一〇月三日ないし五日当時は、斉藤も石川社長も、庄司の名前を「富貴男」と記憶していたことは明らかである。
然るに、本件追認書(乙第七号証の一)には「富喜男」と記載されている。このことは、右追認書が同月五日に作成されたものではないことをそれ自体物語つているものである。
(C)次に、右追認書(乙第七号証の一)には、小松製作所は本件ブルトーザーの代金を直接納入先から受領してもよろしいとの旨の記載がある。
ところが、本件売買契約は被告と契約したものであるから、石川社長が一〇月五日当時被告以外から右代金の支払のなされることを知つている筈がない。それにも拘らず「納入先云々」と記載されていることは、石川社長が後日に至つて、本件ブルトーが改めて小松と飯豊農業協同組合との間に契約されたことを知つた上、それに符節を合わせて書いたものにほかならない。
(D)右追認書(乙第七号証の一)には、クライスラーについてもブルトーザーと同様の趣旨のことが書かれている。しかし乍ら、昭和三四年一一月四日に作成された乙第三二号証の二、三には、「ようやく去る二日石川社長と会見の機を得、話合がついたので改めて貴社との直接交渉により本件の結末をつけたい」との旨の記載がある。
若し被告主張の追認書が真実であるならば石川社長は既に一〇月五日「契約解除、直接契約」を承認しているのであるから、何も一一月二日に至つて石川社長とこの件に関して話合をする必要はない筈であり、従つて右追認書が後日作成されたことは明らかである。
(E)右追認書(乙第七号証の一)には、インペラグレーカーについても同様のことが書かれている。しかし乍ら、同年一一月一六日石川社長が斉藤財政課長に宛てた手紙(甲第一二号証の一)によれば、「早川と話合をしてすべて弊社の取引と致すつもりの処、早川の方において折角北上市と話合したのであるからこのまましておいてもらい度い旨の電話があつたのでそのままにした」との旨の記載がある。
若し追認書が真実一〇月五日に作成されたものであるならば、石川社長が一一月六日に至つてかかる手紙を書く筈がない。
(F)証人鎌田秀夫の証言によれば、鎌田は一〇月五日石川社長と二人で五反田の喫茶店へ行き、石川社長に斉藤課長からの手紙を渡したところ石川社長はカウンターの所へ行つて手紙を読み、便箋様のものに何かを書いて鎌田に渡したので、鎌田はこれを預つて帰花したと言うのである。
ところが、証人石川建は右事実を否定しているのみならず、石川社長を鎌田に引合わしたのは弟の石川建であるのに、その石川建をさしおいて何故鎌田が石川社長と二人だけで五反田へ行く様になつたかが納得できない。
また、石川社長が鎌田から手紙を受取つて、内容もわからずにわざわざ席をはずしてカウンターの所へ行つたと言うことも不合理である。鎌田は朝日商工の社員であるから席をはずす必要な何等ない筈である。
(G)更に、本件追認書(乙第七号証の一)は、全罫紙にカーボン紙で書かれたものである。当時石川社長が、鎌田と会うのに如何なる用件であるかを予め知る由もないのに、石川社長がわざわざカーボン紙や罫紙を用意して喫茶店へ出掛けて行つた等と言うことは、到底考えられない。また、喫茶店のカウンターで、乙第七号証の一の如き相当内容ある詳しい書面が書けるとは到底想像できない。
しかも、右追認書には拇印のみが押してあるが、カーボン紙や罫紙まで用意しているものが自己の印鑑を持つていないとは考えられない。当時石川社長は集金や金融に奔走していたのであるから自己の印鑑を持つていなかつたことはあり得ず、拇印を押す位なら個人印を押しても一向差支えないのに、わざわざ拇印まで押してあるのは、いかにも逃走中の出来事の様に見せるための一種のカモフラージユである。
(H)石川社長は昭和三四年九月二九日小松製作所から、ブルトーザー一台を横領した容疑で告訴され、同年一〇月一九日逮捕され、同月二二日保釈されているのであるが、本件追認書が真実同年一〇月五日に作成されているとすれば、石川社長と小松との間には一種の示談が成立したことになるのであるから、それにも拘らず小松が右告訴を維持してゆくことは考えられない。
(I)石川社長は前記のとおり釈放後、再び小松や被告と取引を再開しようと種々画策していたのであるが、被告との取引を再開するについて、被告から仮差押を解除しなければ取引をしない旨申渡されている事実がある。(証人渡辺正吾、黒須弥三郎の各証言、原告本人の供述)
若し、本件追認書が真実一〇月五日に作成され被告に到達しているとすれば、被告が石川社長に対して仮差押の解除を請求する筈がない。これは、被告が石川社長を通じて原告に対し仮差押の解除を求めようとしたところ、原告がその要求に応じないので万やむを得ず石川社長をして事後に追認書を作成させたことを示すものである。
(J)原告は本件仮差押後、民訴法第六〇九条による被告の回答によつてはじめて本件解除の主張に接したので、石川社長に対し再三追認の有無を確めたが同人はその都度これを否定していた。(黒須、渡辺証言)
(K)のみならず、石川社長は訴外渡辺正吾に対し昭和三四年一二月に至り、本件売掛金を原告に取られるよりは渡辺に取つてもらい度いとすすめて、公正証書(甲第九号証)を作成している。若し石川社長が一〇月五日に追認書を作成しているとすれば右公正証書を作成せしめる筈がない。
(ロ)被告の側に存する根拠
(A)被告は昭和三四年一〇月二四日荏原警察署長から石川社長に関する照会を受け、(乙第一三号証の一、第三三号証の一)、これに対して同月三一日付を以て同警察署に宛て回答をなしているのであるが(乙第三四号証の二)、右回答書によれば被告が本件追認書(乙第七号証の一)を受理している事実の記載が全然なく、しかも石川社長の消息は同年九月一六日秋田から電話連絡があつたきりで不明であると明記している。この事実は、追認書が同年一〇月七日当時被告に到達していなかつたことを如実に示すものである。
しかも、右回答書が被告から警察あてに発信されていることは、被告財政課の文書収発簿(乙第一三号証の一)に何等記載がなく、斉藤課長の手控と称する乙第二三号証にもやはり記載がなく、被告は右回答書を故意に秘匿しておいたものと考えるよりほかない。
(B)斉藤証人は、本件追認書が一〇月七日に受理されたものであることは乙第七号証の二に市長、助役はじめ各課の認印のあることによつて明らかであると述べているが、右弁疏は信用することが出来ない。
即ち、被告が朝日自動車株式会社と本件クライスラーの売買契約を結んだのは昭和三四年一一月二五日頃であるところ、その契約書(乙第一八号証、第三〇号証の一)の作成日付を同年六月三〇日に遡らせて記入したものであることは斉藤証人の自認するところである。しかるに被告の文書処理カード(第三〇号証の二)によれば、右契約書が同年七月一日に受理された旨の記載があり、しかもそれが虚偽であることを十分承知の上で被告の市長、助役、課長等が認印をしている。
右事実は被告が虚偽の公文書を平気で作成していることを雄弁に物語るものであり、従つて、本件追認書の受付日付を遡らして記入したことも当然考えられる。
(C)斉藤証言によれば、被告は昭和三四年九月三〇日頃石川社長から「契約解除直接契約」の承認書をとる方針を決定し、その結果同年一〇月七日本件追認書を受理したと言うのである。一方、長沢証言、乙第二三号証によれば本件ブルトーザーは同年一〇月六日に小松と飯豊農協との間で直接売買契約がなされているのであるが、追認書の到達をまたずに最終的処理たる直接契約をなしたとすれば全く不可能である。
右事実は、斉藤課長が同年一〇月三日に石川社長あての手紙を托したことがなかつたことを示すものである。
(D)原告代理人黒須弥三郎弁護士は、本件仮差押の申請に先だち、被告市に赴き財政課長補佐小沢幸三郎に面会の上甲第五号証を示して本件債権の存在を確めたところ、同人が現に存在する旨を確認したので本件仮差押をなしたのである。
しかるに前記のとおり原告は被告から民訴法第六〇九条による回答に接したので、原告代理人黒須は昭和三五年八月二三日再び被告市へ赴き、斉藤財政課長に面会し、関係書類一切の提示を求めて検討したのであるが、そこには本件追認書(乙第七号証の一)は存在しなかつた。即ち、当時未だ被告には追認書がなかつたことが明らかである。
第二、代表取締役代行者による合意解除について、
(一)庄司富喜男は朝日商工の代表権限を有しない。
(イ)被告提出の承認書(乙第四号証の二)によれば、朝日商工の取締役土橋久夫、石川建、庄司富喜男が、庄司を代表取締役代行者として承認した旨の記載があるが、右三名は取締役に就任(承認)したことがないから同人等の承認行為は何等効力を生じない。
(ロ)仮に然らずとしても、右は適法な取締役会の決議をへた選任行為でないから無効である。
即ち、右承認書の作成経緯は、被告は小松製作所から本件ブルトーザーについて直接契約を依頼されていたところ、たまたま庄司作成名義の書面(乙第三号証の一)が被告に到達したので、被告の斉藤財政課長が小松の社員藤崎昭二に対し庄司が代表者であることを証する書面を取ることを要請した。そこで小松は同年九月三〇日庄司を小松の寮(永代荘)に連行し、小松の加藤博敏が承認書(乙第四号証の二)の文案を作成し園田某が清書し、庄司の署名捺印を求め、小松の村井、長沢等が右書面を携行して石川建、土橋久夫宅に赴き、小松の社員のみが同人等に会つた上これに署名捺印を求めて作成されたものである。してみると、右承認書は小松の意向を一方的に押しつけて作成されたものであつて、取締役会として何等の招集手続や会議の開催、協議等はなされておらず、到底適法な取締役会の決議とは言うことが出来ない。
(ハ)仮に然らずとしても、法律上代表取締役代行者なる制度は存しないから右選任の決議は無効である。
商法第二五八条第二項第二六一条第三項によれば、代表取締役欠員の場合急迫な事情があるときは裁判所が一時代表取締役を選任することがあるが、その場合には登記がなければ効力を発生しないところ、本件ではかかる手続の履践もなく、勿論登記もないから、庄司の就任は商法上何等の効力がない。
(二)更に、本件については商法第二六二条の適用はない。
(イ)前記のとおり庄司は朝日商工の取締役ではなく全くの第三者であるから、取締役以外の者に代表権を有するものと認むべき名称を付しても同条の適用はない。
(ロ)仮に然らずとしても、庄司が代表取締役代行者なる名称を使用するに至つた経緯は、前記のとおり庄司等の自発的意思の下に適法な取締役会議を開いて決議した結果によるものではなく、小松の社員等が案出した名称を勝手に庄司等に押しつけたものである。従つて右の名称は朝日商工が庄司に対し、自ら任意に表見的名称の使用を許容した場合ではなく第三者たる小松の社員が勝手につけた名称にすぎないのであるから本条の適用はない。
(ハ)仮に然らずとしても、被告は悪意の第三者である。即ち、被告斉藤財政課長は、小松から直接契約の申入を受けたが、庄司が単なる取締役にすぎないのでその代表権限に疑問を持ち、一旦右申入を拒否したのち、更に手続をすれば簡単に代表権が発生すると誤解して、小松に対し庄司の代表権を証する書面を要求したものであり、従つて、被告は庄司が単なる取締役であつて代表権のないことを知悉していたことが明らかである。よつて被告には本条の適用がない。
(ニ)仮に然らずとしても、被告は庄司が代表権を有しないことを知らないことにつき重大な過失がある。
前記のとおり被告は庄司の代表権の有無について相当疑問をもつていたのであるから、本件承認書が適法な決議に基くものであるか否かを照会し且つ登記簿等を調査すべきであつたのに、何らかかる調査をすることなく漫然これを信用したのであるから、被告には重大な過失があるものと言うべく、従つて、被告は本条の適用を主張し得ないものである。
(三)更に、庄司が代表取締役代行者名義でなした意思表示(乙第四号証の一)は、何等の効果意思がないので無効である。
前記のとおり、庄司は小松の社員によつてわけのわからないまま永代荘に連行され、「会社に保管しておくだけで何も迷惑をかけない。これがなければ自分たちが首になるから署名してくれ」と言われ、何の書類かわからずに単に求められるまま白紙に署名したものである。(庄司証言)
右の事実は乙第四号証の一それ自体によつても明らかである。即ち、右書面には本文と庄司の氏名との間には相当の余白があり、これは白紙に先ず署名をさせたのち本文を書入れたことを物語つている。尤も加藤証人は、この余白の部分にあとで附属物品を記入する予定であつたと言うが、右文書作成の際契約書(乙第九号証の二)も永代荘へ持参しているのであるから、附属品の有無はすぐわかる筈であり、又、乙第三号証の一の通告書は加藤証人が文案を書いたものであるところ(加藤証言)この通告書には附属品の記載がないのであるから、前記加藤の弁解は到底信用できない。
以上により、庄司は本件ブルトーザーの売買契約を合意解除する意思で署名押印したものでないことは明らかであり、右文書は効果意思を欠くものとして無効である。
と述べた。
証拠(省略)
被告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め
答弁として
(一)請求原因(一)の事実中、被告が朝日商工から本件ブルトーザー一台を代金四七〇万円で買受けたこと、及び請求原因(二)、(三)の事実は認めるが、その余の事実は否認する。
(二)被告が朝日商工からブルトーザー一台を買受けたのは昭和三四年七月二五日である。(右ブルトーザーは朝日商工が訴外株式会社小松製作所から昭和三四年七月一五日頃買受けて被告に転売したのであるが、小松製作所は同年一〇月初頃朝日商工との売買契約を解除し、被告も又、後記抗弁のとおり同年一〇月八日朝日商工との売買契約を合意解除し、改めて本件ブルトーザーは小松製作所から直接訴外北上市飯豊農業協同組合に売渡す旨の売買契約が成立し、その引渡を終つたものである。)
(三)また本件クライスラーは、被告が朝日商工の仲介により、昭和三四年六月三〇日訴外朝日自動車株式会社から代金九五万円で買受けたものである。
と述べ、
抗弁として、
本件ブルトーザーの売買契約は、朝日商工と被告との間において、昭和三四年一〇月八日適法に合意解除がなされている。
即ち、
第一、追認による合意解除
(一)朝日商工は昭和三四年七月一五日頃本件ブルトーザーを小松製作所から買受けた上、被告に転売したものであるところ、朝日商工代表取締役石川樹は昭和三四年九月一六日頃から職務を放棄し所在不明となつた。
(二)そして朝日商工取締役庄司富喜男は、同年九月二五日付内容証明郵便(乙第三号証の一)を以て被告に対し本件ブルトーザーの売買契約を合意解除したい旨の申込をなし、右書面は同月二八日被告に到達した。(乙第三号証の二、三)
(三)そこで被告は同年一〇月五日付内容証明郵便(乙第六号証)を以て朝日商工に対し、右合意解除の申込を承諾する旨の意思表示をなし、右書面は同月八日朝日商工に到達した。
(四)しかし庄司からの同年九月二五日付右内容証明郵便は、朝日商工取締役名義でなされていたので、被告は庄司の右申込につき石川社長の追認を得ようと考えた。
(イ)石川社長は東京の朝日商工本社を出たのちも朝日商工花巻出張所佐藤剛と連絡を取つており、被告は佐藤所長から、同年九月二七日頃には石川社長が帰京する模様であると内報されていたので、被告財政課長斉藤武雄は佐藤を介して石川社長と連絡をとり、その追認を得ようと考えた。
そこで斉藤課長は、同年一〇月三日朝日商工花巻営業所に電話をかけ、佐藤所長に対し、「ブルトーザーの件については朝日商工との契約を解除し小松製作所との直接取引にしたい。この件について朝日商工の庄司取締役からも契約解除の申込の文書が来ているが、石川社長の追認を得たいから何とか取次をしてほしい。」との旨の依頼をしたところ、佐藤所長から、「石川社長と連絡をとるため現在営業所員鎌田秀夫を上京させている。」との返答があつたので、同人を介して追認についての連絡方を依頼し、佐藤所長の承諾を得た。
(ロ)よつて斉藤課長は同日直ちに石川社長に宛て、「本件ブルトーザーの取引について、庄司取締役から被告に対し合意解除申込の書面が来ているが、右申込を代表取締役として追認してほしい。」との旨の手紙を作成し、かつ、庄司の右申込書の要旨をも付記した上、右手紙を差出人斉藤武雄、名宛人石川樹とした封筒に封入し、直ちにこれを携えて朝日商工花巻営業所に赴き佐藤所長に面接し、同人に対し、庄司からの申込の内容を説明した上、石川社長と連絡して庄司の申込を追認する旨の文書を取つてもらい度い旨依頼して、前記の封筒を手交した。
(ハ)佐藤所長はこれを承認し、右封書を別の封筒に入れた上、折から上京中の鎌田秀夫に宛て速達郵便を以て急送し、同人に対し右書面を石川社長に手交し至急返事をもらつて帰る様に連絡した。
(ニ)鎌田秀夫は東京で右封書を受領し、同年一〇月五日東京都内において石川社長と面接し、同人に佐藤所長からの伝言を伝えるとともに右封書を手交した。
(ホ)石川社長は右依頼の趣旨を了承し、同月五日付を以て自筆で、庄司取締役がなした同年九月二五日付合意解除の申込を追認する旨の文書(乙第七号証の一)、を作成し、直ちに鎌田に手交した。
(ヘ)鎌田は右追認書を携えて同年一〇月七日花巻市に帰着し、これを佐藤所長に手交した。佐藤所長は即日これを携えて被告市役所に赴き、斉藤財政課長にこれを手交し、以て石川社長のなした追認の意思表示は被告に到達したものである。(乙第七号証の一の受付印、同号証の二、同第一三号証)
(ト)原告は、石川社長の追認がなされたのは、被告が本件債権の仮差押決定の送達を受けた昭和三四年一〇月三一日以降であると主張するが、被告を誣いるも甚だしい。
(A)右追認書は、その受付印、文書処理カード(乙第七号証の二)文書収発簿(乙第一三号証)に夫々明記されているとおり、一〇月七日に被告に到達したものである。
(B)石川社長は昭和三四年九月二九日頃、小松製作所からブルトーザー五台の横領容疑で告訴され、同年一〇月一九日に逮捕(同月二二日釈放)されるまで潜伏していたのであり、一〇月五日当時は容疑者として探索されていたのであるから朝日商工本社に姿を現さず、且つ追認書に社印を用いなかつたのは当然である。
(C)本件ブルトーザーについては石川社長の追認により石川社長と小松との間に示談が成立した形のようではあるが、小松の告訴は本件のみならず五台のブルトーザーについてなされていたのであるから、本件について示談が成立したとしても小松ご告訴を全部取下げる筈がなく、従つて、石川社長が本件追認後に逮捕されても不思議ではない。
(五)かくして、庄司取締役の前記合意解除の申込(無権代理行為)は、石川社長の追認によつて有効となり、被告から朝日商工に対する合意解除承諾の意思表示の到達により本件ブルトーザー売買契約は同年一〇月八日適法に合意解除されたものである。
第二、代表取締役代行者による合意解除
(一)(イ)被告は昭和三四年九月二八日、前記のとおり庄司取締役から合意解除の申込を受けたのであるが同人が果して朝日商工の代表権を有する取締役なりや否やに疑問を持つたので、本件ブルトーザーの販売元たる小松製作所の東北営業所社員藤崎に対し、小松製作所の本社において右代表権の有無を調査し、庄司に代表権があればこれを証する書面を徴して提出させてもらい度い旨依頼した。
(ロ)藤崎はこれを了承し、小松製作所東京本社にその旨連絡し、同本社は朝日商工の石川社長を除く取締役全員即ち、庄司富喜男、土橋久夫、石川建に連絡し、同年九月三〇日付を以て右三名をして、石川社長が所在不明につき代表取締役の権限は取締役庄司富喜男が代行することを承認する旨の決議をさせ、その旨の承認書(乙第四号証の二)を作成させた。
(ハ)そして庄司取締役は改めて朝日商工代表取締役代行者名義を以て被告に宛て、本件ブルトーザー売買契約の合意解除の申込をする旨の通告書(乙第四号証の一)を作成し、小松製作所東北営業所岩手出張所長長沢正弥が右承認書及び通告書を携行して、同年一〇月五日これを被告に提出交付した。
(ニ)被告は右書類を検討の結果、庄司取締役が代表取締役に選任され、改めて売買契約の合意解除を申込んだものと認め、同年一〇月五日付内容証明郵便(乙第六号証)を以て朝日商工に対し、右合意解除の申込を承諾する旨の意思表示をなし、右書面は同月八日朝日商工に到達した。
(二)ところで庄司取締役は、同年九月三〇日適法に朝日商工の代表取締役に選任されたものである。即ち、商法第二五九条によれば、各取締役に取締役会の招集権限があり、代表取締役石川樹の職務遂行に支障を生じたため、他の取締役において臨時に庄司を代表取締役として選任したものであり、従つて庄司は適法な代表権限を有するに至つたのであるから、代表取締役代行者名義の前記合意解除の申込は有効である。
従つて被告はこれに対してその承諾をしたのであるから、本件ブルトーザーの売買契約は同年一〇月八日限り適法に合意解除されたものである。
(三)更に、被告は商法第二六二条の善意の第三者であるから、本件合意解除は有効である。
即ち、朝日商工は取締役四名のうち三名までが取締役庄司富喜男に代表取締役代行者として代表権限を与える旨の承認書を作成し、庄司が被告に対し代表取締役代行者なる名称を用いて契約解除の申込をなすことを許容したのであるから、庄司に代表権がなかつたとしても表見代表取締役の行為として、朝日商工は商法第二六二条により善意の第三者たる被告に対しその責に任ずべきものである。
従つて、庄司の右申込に対する被告の前記承諾により、本件ブルトーザーの売買契約は同年一〇月八日適法に合意解除されたものである。
と陳述した。
証拠(省略)
理由
第一、争のない事実
原告主張の請求原因(一)の事実中、被告が朝日商工から本件ブルトーザー一台を代金四七〇万円で買受けたこと、及び請求原因(二)、(三)の事実は当事者間に争がない。
第二、ブルトーザーの売買代金請求について
被告は、本件ブルトーザーの売買代金請求に対する抗弁として、追認による合意解除と、代表取締役代行者による合意解除とを選択的に主張しているので、先ず代表取締役代行者による合意解除の抗弁について判断する。
(一)被告が本件ブルトーザーを買受けるに至つた経緯。
成立に争のない乙第一号証の一ないし三、証人長沢正弥の証言によりその成立を認めうる乙第九号証の二、証人斉藤武雄、同長沢正弥の各証言によれば、被告は昭和三四年五月頃、北上市飯豊農業協同組合に使用せしむべきブルトーザー一台の購入を企画し、メーカーである小松製作所盛岡出張所に照会していたところ、かねて被告市役所に出入し被告と取引のあつた朝日商工株式会社の代表取締役石川樹から、朝日商工を売主としてブルトーザーの販売をさせてほしい旨の申入があつたので、被告財政課長斉藤武雄はその旨を小松盛岡出張所長長沢正弥に伝えたところ、長沢はこれを諒承し、小松製作所から本件ブルトーザー一台を朝日商工に対して月賦販売の形式で売却すると共に、朝日商工がこれを被告に対して転売することとなり、同年五月二八日付で被告から朝日商工に対して本件ブルトーザーの発注がなされ、(乙第一号証の三)同年七月初旬頃、被告と朝日商工との間において、本件ブルトーザーの代金を四七〇万円とし、同年末までに金四〇七万円、翌三五年五月末までに金六三万円を支払う旨の約定がなされ、同年七月二五日頃被告は右ブルトーザーの引渡を受けたことが認められ、右認定を左右する証拠もない。
(二)被告が注文取消承認通告書(乙第六号証)を発するに至つた経緯。
(イ)先ず、成立に争のない乙第三号証の二、同第一三号証の一、証人斉藤武雄、同藤崎昭二の各証言によれば、
被告は、昭和三四年九月二二日頃、朝日商工取締役庄司富喜男作成名義で、「石川社長職務放棄により逃走中につき朝日商工に対する一切の支払は改めて連絡するまで一応停止され度い」との旨の、同年九月二一日付内容証明郵便(乙第二号証の二)の送達を受け、更に、同月二八日同じく取締役庄司富喜男作成名義で、「先に朝日商工から売渡した本件ブルトーザーについては、小松製作所と直接契約され度い。なおその代金四七〇万円は小松製作所宛支払願い度い」との旨の、同年九月二五日付内容証明郵便(乙第三号証の一)の送達を受けた。そして、同月二八日小松製作所東北営業所(仙台)総務部長藤崎昭二が被告を訪れ、斉藤財政課長に対し本件ブルトーザーの取引を小松と被告との間の直接契約に改めてもらい度い旨の申入をなした。そこで斉藤は、藤崎に対し、「庄司取締役名義で前記書面が来ているが代表権に疑問があるので庄司に代表権がある旨の証明書が欲しい。」との旨を述べたところ、藤崎はこれを諒承し、直ちに小松製作所東京本社の後記対策本部へ、電話で右の旨を連絡した。以上の事実を認定することができる。
(ロ)次に、証人加藤博敏の証言によつて成立を認め得る乙第四号証の一、同証言及び証人長沢正弥の証言によつて成立を認め得る乙第四号証の二、右両名の証言、証人村井信夫、同藤崎昭二、同庄司富喜男(但しその一部)、同石川建(但しその一部)の各証言を綜合すると次の事実を認定することが出来る。
(A)小松製作所は、かねて朝日商工に対し本件ブルトーザーの他数台の建設機械類を売渡していたが、昭和三四年九月二〇日に支払わるべき朝日商工振出の手形が不渡りとなつたので、同社を調査したところ石川社長が同年九月中旬頃から金策に行くと称して出掛けたまま所在不明であることがわかり、朝日商工に対する巨額の売掛金回収のため急拠対策本部を設け、連日朝日商工東京本社に社員を派して交渉に当らせていた。
(B)小松製作所の右対策本部では、登記簿の閲覧により朝日商工の取締役が石川樹、庄司富喜男、石川建、土橋久夫の四名であることを知つたのであるが、昭和三四年九月二八日頃前記のとおり藤崎昭二から被告の意向を伝える電話があつたので、同月三〇日小松製作所社員が朝日商工に赴き、庄司富喜男を小松製作所の寮である永代荘へ連れて来た。
(C)右永代荘において、小松製作所の社員加藤博敏等が庄司に対し、朝日商工の取締役等において庄司に代表権を持たせる様に決議し且つ代表者として被告に宛て前記直接契約に関する通告をしてほしい旨を、説明して依頼したところ、庄司はこれを諒承した。そこで加藤博敏は、「朝日商工株式会社代表取締役石川樹が昭和三四年九月一六日以降所在不明につき朝日商工株式会社の代表取締役の権限は取締役庄司富喜男が代行することを承認する。」との旨の同日付承認書(乙第四号証の二)の文案を作り小松社員岡田をしてこれを筆記させ、庄司は加藤の面前で右承認書に朝日商工取締役名義で自ら署名し、且つ実印を押印し、更に加藤が文案を作り小松社員岡田及び黒田が筆記した「朝日商工から被告に売渡した本件ブルトーザーの売買契約は都合により解除する」との旨の被告宛の通知書(乙第四号証の一)に、朝日商工株式会社代表取締役代行者庄司富喜男名義で庄司自ら加藤の面前で署名押印をなした。(証人庄司富喜男は、永代荘で小松の社員から「馘首されるから印を押して呉れ」と頼まれたので、事情がわからぬまま印鑑を渡し、且つ白紙に一回署名した様な記憶があると供述しているが、この点に関する庄司の証言は甚だ曖昧であるのみならず、前記乙第四号証の一、二の各庄司署名部分の筆跡はいずれも酷似しており、単に関係のない他会社の社員が馘首されると言うことだけで、その事情もきかず書類の内容の説明もうけずに軽々しく署名したり実印を手交したりする等とは到底考えられず、右庄司の証言は加藤証人の証言に対比すると到底措信することが出来ず、他に右認定を覆えすべき証拠もない。)
(D)そして同日、小松製作所社員村井信夫、長沢正弥等は前記承認書(乙第四号証の二)を携えて庄司と共に自動車で永代荘を出発し、石川建及び土橋久夫の自宅を歴訪し、長沢が同人等に対して右承認書の内容を説明して署名押印を求めたところ、石川、土橋等はこれを諒承して右承認書に、夫々朝日商工株式会社取締役名義で自ら署名押印をなした。(証人石川建は、自宅アパートの玄関前で、右承認書の内容を読まずに署名した旨供述しているが、他会社の社員からわざわざ自宅まで訪問を受け乍ら、文書の内容を読みもせずその趣旨を全然知らずに自ら署名押印するとは到底考えられず、右証言部分は長沢証言に照し措信することが出来ず他に右認定を左右する証拠もない。)
(ハ)次に、前記乙第四号証の一、二、成立に争のない乙第五号証の一ないし四、乙第六号証、証人長沢正弥、同斉藤武雄の各証言によれば、
長沢正弥は昭和三四年一〇月五日前記通告書及び承認書(乙第四号証の一、二)を携行して被告市役所を訪れ、これを財政課長斉藤武雄に手交した。そこで斉藤課長等被告主脳部は、右書面に基き、庄司に朝日商工を代表する権限があり、被告に対して本件ブルトーザーの売買契約を合意解除する旨の申入をなして来たものと判断し、右申込を承諾すべく被告市長の決裁を経た上、同日付被告市長作成名義の内容証明郵便(乙第六号証)を以て朝日商工に対し、前記通告書による契約解除の申込を承諾する旨の意思表示をなし、右書面は同月八日朝日商工に到達した。
以上の事実を認めることが出来、右認定を左右すべき証拠もない。
(三)表見代表取締役の主張について、
被告は、庄司富喜男が朝日商工代表取締役代行者名義でなした前記通告(乙第四号証の一)は、善意の第三者たる被告に対する表見代表取締役の行為として有効である旨主張し、原告はこれを争うので判断する。
(イ)先ず原告は、庄司富喜男は朝日商工の取締役ではなく全くの第三者であるから、かかる者に対して代表権を有するものと認むべき名称を付しても商法第二六二条の適用がない旨主張するので判断すると、成立に争のない甲第八号証、乙第二五号証によれば、朝日商工の商業登記簿には、昭和三四年二月一〇日を以て石川樹、土橋久夫、石川建、庄司富喜男の四名が取締役に就任した旨の登記がなされているところ、証人庄司富喜男は、自分は取締役に就任することを承諾したこともなければ取締役になつていることも知らず朝日商工とは何等関係がなかつた旨供述しているが、前認定のとおり庄司は小松製作所社員の依頼によつて承認書(乙第四号証の二)、通告書(乙第四号証の一)に自ら署名押印をしたり、長沢等が土橋久夫、石川建の自宅を歴訪するのに同行する等の行為をなしており、しかも右行為をなすについては小松の社員等が庄司に対して何等の強制を加えた形跡もないのであるから、若し庄司が取締役就任について全然関知していなかつたのであれば右書面に取締役名義で任意に署名押印する筈がなく、又別段小松の社員から身体の拘束を受け或は監禁されてたわけでもないのであるから、朝日商工本社から同行を求められた際もこれに応ずべき理由がなければ当然同行を拒絶し得た筈であり(それにも拘らず小松の社員に言われて実印まで用意して同行している)、或は永代荘に赴いたのちにおいてもいつでも自由に退出し得た筈である。(庄司証人は、小松の社員から、自分たちが首になるので印を押して呉れと頼まれたので印鑑を渡し署名したと述べているが、若し庄司が朝日商工と関係がなければ小松の社員に対して何等かような義理立てをする必要はないわけである)従つて、取締役就任を承諾したことがないと言う庄司証言はたやすく措信し難く、他に前記登記簿の記載が虚偽であると認むべき証拠もない。
(ロ)次に原告は、朝日商工代表取締役代行者なる名称は、小松の社員が勝手に案出して庄司等に押しつけたものに過ぎず、朝日商工が任意にその使用を許容したものではない旨主張するので判断する。
先ず、朝日商工株式会社代表取締役代行者なる名称は、外観上第三者をして代表権の存在を窺わしめるに十分であり、商法第二六二条所定の会社を代表する権限を有すると認むべき名称に該当するものと言わねばならない。そして、会社が或る取締役に対して表見的名称の使用を許容するについては、必ずしも常に適法な株式総会又は取締役会の決議を経ることを要するものではなく、例えば或者が表見的名称を僣称しているのを会社が放置黙認する場合でさえ含まれるのであるから、前認定のとおり庄司が代表取締役代行者なる表見的名称を使用するに至つた経緯において、右表見的名称が小松の社員の発案に係るものであつても、朝日商工の全取締役四名中過半数である三名までが右名称の使用を承認し任意に承認書(乙第四号証の二)に署名押印をなし、朝日商工の代表取締役の権限を庄司取締役が代行することを明示的に表明したのであるから、かかる場合には朝日商工として右表見的名称の使用を任意に許諾したものと言うことができる。(原告は、石川建、土橋久夫等も朝日商工の取締役ではないから右承認は何等効果がないと主張するが、前記のとおり同人等は取締役として登記されており、しかも自ら取締役名義で前記承認書に夫々署名押印しており、これについて関知しないと言う証人石川建の証言は軽々に措信することができない。)
(ハ)次に原告は、庄司が代表取締役代行者名義でなした通告書(乙第四号証の一)の意思表示は、何等の効果意思がないので無効である旨主張し、庄司証人は何の書類かわからずに白紙に署名した旨述べているが、この点に関する庄司証言は前後一貫せず甚だ曖昧であるのみならず、分別のある年令であるのに事情もわからず内容も知らずに全く盲目的に署名し実印を押捺する等とは到底考えられず、証人加藤博敏の証言によれば、加藤は右通告書を庄司の面前で作成し本件解除の趣旨を説明して庄司の承諾を得た上直ちに同人の署名押印を得たことが認められ、右通告書につき効果意思がなかつたものとは言うことができない。
(ニ)次に原告は、被告は庄司に代表権のないことを知悉していた悪意の第三者であるから商法第二六二条の適用はない旨主張するが、証人斉藤武雄の証言によれば、従来被告は朝日商工と取引するについて専ら石川社長と直接話合をなして来たものであり、同社の商業登記簿を調査したこともなく勿論庄司とも面識がなく、果して庄司が代表権を有する取締役であるか或は単なる取締役にすぎない者であるかについては全く知らなかつたものであるところ、朝日商工取締役庄司名義の前記内容証明郵便(乙第二号証の二、乙第三号証の一)を受領した際も、果して庄司に代表権限があるものか否かについて判断に戸惑い、代表権の有無を確めるため藤崎を介して証明書面の提出を求めた結果、庄司が代表取締役の権限を代行することを承認する旨の取締役三名連名の承認書(乙第四号証の二)の交付を受けたので、従来の懸念を払拭され庄司は単なる取締役ではなく代表権があるものと考えるに至つたことが認められ、被告が庄司に代表権のないことを知悉していたものとは言うことが出来ず、他に被告が庄司の代表権不存在につき悪意であつたことを証明するに足る証明もない。
(ホ)次に原告は、被告が庄司の代表権不存在の事実を知らなかつたとしても重大な過失があると主張するが、商法第二六二条は第三者の善意が過失に基くと否とに拘らず適用があるのみならず、被告は庄司の代表権限の有無について懸念を持つたので特にこの点を確める措置として藤崎を介して証明書面の交付を求めた結果、取締役三名連名の承認書の交付を受けてこれを信用するに至つたのであるから、右証明書面の交付を受けた上に更に重ねて登記簿の閲覧等の確認方法を採らなかつたとしても、被告に重大な過失があつたものとは言うことが出来ない。
(四)してみると庄司富喜男が朝日商工株式会社代表取締役代行者名義でなした被告宛の本件通告(乙第四号証の一)は、善意の第三者たる被告に対する表見代表取締役の行為として有効であり、従つて右合意解除の申込に対し被告が承諾の意思表示(乙第六号証)をなし昭和三四年一〇月八日これが朝日商工に到達したことにより、被告と朝日商工間の本件ブルトーザーの売買契約は同日を以て適法に合意解除がなされたと言わねばならない。
よつて原告の被告に対する本件ブルトーザーの売買代金請求は、その余の判断をなすまでもなく失当である。
第三、クライスラーの売買代金請求について。
原告は、朝日商工が被告に対し、昭和三四年六月五日本件クライスラーを代金九五万円で売渡した旨主張するのに対し、被告は右クライスラーは朝日商工の仲介により訴外朝日自動車株式会社(以下朝日自動車と称する)から買受けたものであると主張するので判断する。
(一)証人斉藤武雄の証言によつて成立を認めうる乙第一五号証の一ないし三、同第一六、一七、一九号証、成立に争のない同第一八号証、同第二九、三〇号証の各一、二、証人道野博、同斉藤武雄、同小沢幸三郎の各証言を綜合すると、左の事実を認定することができる。
(イ)朝日自動車は、昭和三四年四月頃朝日商工の仲介により岩手県釜石市の水上漁業に対し、本件クライスラーを代金一〇〇万円(但し仲介料五万円)で売渡すこととし、同年四月末頃石川社長が水上漁業に代つて頭金一〇万円の立替支払をなしたので、本件クライスラーを水上漁業に届けてもらうべく仲介者たる石川社長に引渡した。
(ロ)被告は、かねて市長の乗用車を購入したい意向を有していたところ、石川社長が同年五月中旬頃本件クライスラーを運転して被告市役所を訪れ、斉藤財政課長に対し、「本件クライスラーは朝日自動車の所有であるが、朝日商工が仲介をするから代金九五万円で購入してはどうか」とすすめたので、斉藤課長が予算の計上がないので代金は昭和三五年九月末でないと払えないと答えたところ石川社長は、「代金支払は昭和三五年九月末でもよいと思うが、若し朝日自動車の方で承知しなければそれまで自分の方で立替えてもよい」との旨を申述べて購入を勧めたので、斉藤課長は石川社長に右仲介を依頼した。
(ハ)一方朝日自動車は昭和三四年五月中旬頃、石川社長から「本件クライスラーを被告に見せたところ被告が欲しいと言つているので、水上漁業の方は自分が話をつけるから改めて被告に売つてもらい度い。」との申入を受けたので、本件クライスラーを水上漁業に売ることを取止め、改めて朝日商工の仲介で被告に売ることとし、代金は九五万円(仲介料なし)、支払は同年九月三〇日限り一回払、被告から手形の代りに支払証明書をとること、関係書類はすべて朝日自動車宛にすること、等の条件を石川社長に伝え、且つ石川社長を通じて被告から朝日自動車宛の注文書の提出を求めた。
(ニ)そこで被告は市会協議会の承認を得て本件クライスラーを購入することに決し、同年五月二八日付を以て、朝日商工を経由して朝日自動車に宛て、本件クライスラー一台を代金九五万円で注文する旨の注文書(乙第一五号証の一)を作成し、右注文書は被告から石川社長に託され同人の手を経て同年六月二日朝日自動車に到達した。
(ホ)ところが被告には、昭和三四年九月末日までに本件クライスラーの代金を支払うべき予算がなかつたところ、石川社長がこれを立替えてもよいと言うので、被告が朝日自動車に対して支払うべき本件クライスラーの代金九五万円を朝日商工において一時立替支払しておいてもらい度い旨の、同年六月一八日付依頼書(乙第二九号証の二)を作成して石川社長に交付し、同年六月下旬頃朝日商工を通じて本件クライスラーの引渡を受けた。
(ヘ)そして石川社長は朝日自動車に対して登録書類の交付を求めたのであるが、石川社長が被告に予算のないことを秘匿して告げなかつたため、朝日自動車は被告から同年九月末払の支払証明書が来るまでは登録書類の交付には応じられないと拒絶した。そこで石川社長は被告から支払証明が来るまで自分が金七〇万円を保証金として預託するから先に登録書類を交付してほしい旨申出たので、朝日自動車もこれを承諾し、同年七月三日石川社長から金七〇万円の預託を受けた上、同月四日朝日自動車社員が盛岡陸運事務所に赴き同所で被告小沢財政課長補佐に対し、直接クライスラーの譲渡証等登録に必要な書類を交付し、本件クライスラーは同日被告名義に登録がなされた。
(ト)そして石川社長は被告市役所を訪れ斉藤課長に対し、「朝日自動車に宛て形式的でよいから昭和三四年九月三〇日払の支払証明書を発行して欲しい。若し被告が同日までに支払えないときは自分の方で立替える。」と言つて支払証明書の発行を頼んだので、石川社長が既に朝日自動車に保証金を預託していることを知らない斉藤課長は、石川社長の言を信じてこれを承知し、本件クライスラーの代金九五万円を昭和三四年九月三〇日朝日自動車に支払うことを証明する旨の同年七月一〇日付支払証明書(乙第一七号証)を作成の上、石川社長にこれを交付した。そこで石川社長は直ちに右支払証明書を朝日自動車に提出して保証金の還付を求めたので、朝日自動車では被告が昭和三四年九月三〇日に全額支払つて呉れるものと信用して、石川社長に対して保証金七〇万円と、先に預かつていた頭金一〇万円合計金八〇万円を即日返還した。
(チ)ところが朝日自動車は昭和三四年九月下旬頃に至り石川社長が行方不明になつたことを知り、朝日自動車社員道野博が直接被告市役所を訪れ斉藤課長と面談の結果、はじめて被告に予算がなかつたことがわかり、両者の間において支払方法につき折衝を重ねた結果同年一一月末頃に至り、右クライスラーの代金九五万円のうち金三〇万円を同年一二月三〇日でに、金六五万円を翌三五年五月三一日までに支払うこととなり、且つ契約書の作成がなされていなかつたので作成日付を昭和三四年六月三〇日に遡らした朝日自動車と被告間のクライスラー売買契約書(乙第一八号証、乙第三〇号証の二)を作成し、その後被告は朝日自動車に対し本件クライスラーの代金として昭和三五年一月八日金三〇万円、同年六月七日金六五万円を支払つた。
(二)成立に争のない甲第七号証、乙第二八号証(但し、書込部分を除く)、証人伊藤康生の証言によれば、昭和三四年六月一三日朝日商工から被告に対し本件クライスラーの代金九五万円の請求書が発せられていることが認められるが、伊藤証言によれば本件クライスラーの売買については全部石川社長自ら折衝に当つたものであり朝日商工の社員はこれに関与しておらず単に石川社長の指示に従つて前記請求書を作成したにすぎないことが認められるので、右請求書の存在及び伊藤証言に拠つて本件クライスラーの売主が朝日商工であると断定することは出来ず、他に前記(一)の認定を覆えすに足る証拠もない。
(三)してみると、朝日商工が本件クライスラーの売主であることを確証するに足る資料はなく、却つて前記(一)認定の事実によれば、本件クライスラーの売主は朝日商工ではなくして朝日自動車であり、朝日商工ないし石川社長は右売買につき単に仲介をなしたにすぎないことが明らかであるから、原告の被告に対する本件クライスラーの売買代金請求は失当である。
第四、結論
以上により、原告の本訴請求はすべて理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用の上、主文のとおり判決する。